日本のここらで。

自分のいる日本のここらへんで起こった事を記します。

『君の名は。』を観て

【注意】ネタバレを含みます。

評価については概ね世間で言われているとおり、新海誠史上最もエンタメに振った作品で「全部乗せ」だ。そのあたりの感想は他の方に譲るとして、もはや老境に差し掛かった身としては、主人公2人が各々の名前を忘れていく描写がとてもリアルに感じられたという事を書く。


「いずれこんな風に自分も過去の記憶が曖昧になっていき、好きだった女の子の名前も忘れてしまうのだろうな」と思った。「女性は過去の恋愛についての記憶を上書き式で記録するが、男性のそれはフォルダ式なので、男は過去の相手の記憶は全部残している」というような話をネットで見かける。

 

それが一般的なのかわからないが、自分はまさしくフォルダ式だ。過去に付き合った女の子との嬉しかった事、楽しかった事、エロかった事まで、全て低圧縮、下手すれば無圧縮で、脳内の個別のフォルダに記録されている。相手には無許可で申し訳ないかも知れないが、辛い時や寂しい時、それらの記憶を反芻する事で何度か乗り越えてきた。それを「レコードが擦り切れるように」と例えたのは岡崎京子だったか。

 

付き合った相手との思い出は、自分だけの財産だ。
物理的な物は失う事はあっても、記憶は誰の手にも触れられる事はない。
何度でも再生して牛の様に噛みしめられる。

 

と思っていたのだが。40代の坂を転がり始めたあたりから記憶がどんどんと怪しくなってきた。昔はその場の匂いすら思い起こせたものを、今では顔のディテールさえおぼつかない。
出来事の前後が曖昧になり、時期によってはスッポリと抜け落ちていたりする。
先日も大学時代の女子の同級生から突然葉書をもらったが、それが誰なのか、どういう交流があったのか、すっかり思い出せなくなっていた。

 

そんな事を時々考えていた自分にとっては、『君の名は。』の2人の忘却の描写がリアルだった。 瀧くんはついさっきまで口にしていたのに、三葉も町民を避難させるための行動の中で、2人とも突然に相手の名前が出てこなくなる。

「大切な人、忘れたくない人、忘れちゃダメな人」の名前すら次の瞬間には忘れていく。とても他人事とは思えない。

 

指のあいだから砂がこぼれ落ちるようだ。
よすがが削り取られていき、ただ好きだった、大事だったという事だけが残っている。いずれ、それも忘れる。

 

映画のラストシーンの後、瀧くんと三葉はお互いの名前を知ってから、どれくらいの時間で恋人になるのだろうか。そして2人は、2人の間であった事を思い出すのだろうか。あの彗星の事件も。

 2人を再会させたのは映画の中の神様(運命と言ってもいいけど。彗星を落としたのは神様じゃない、おそらく別の奴)の仕業だし、2人が互いを忘れていたのも、きっとそうだ。そして神様は「お互いが出会えば、必ずそれとわかる」という契機だけを残した。

 

自分があと20年経って好きだった女の子の名前すら忘れたとして、何かのきっかけで少しでも思い出す事があるのだろうか。体温とか細い首すじとか爪先とか。かつて自分の身体と地続きだと思えたそれらについて。年月じゃなくて、スライスされた瞬間の行為を。

 

我々はどうしようもなく揮発性の記憶メモリを抱えている。しかし、忘れてしまった事と最初から無かった事は、全く違う。すべてはこの地べたの上で、「私と誰か」にあった事なのだ。

テスト2 蝉の話

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昨夜、部屋に帰ると蝉が死んでいた。最初は死んでいるとはわからなかったが、恐る恐る写真など撮ってみても動かないから、死んでいるものと判断した。
自分について部屋に入って、そのまま行くあてもなく死んだのか。
しばらく様子を見たが、やはり鳴くことも動くこともない。

一夜明けて、このままにしておくわけにもいかず、マンションの裏に植え込みがあるので、そこに置いて土に還そうと思った。

蝉はクリーニングから返ってきたコートの白いカバーに取り付いており、潰さないように脚を引き剥がして、キッチンペーパーに包んで部屋を出る。

エレベーターを降りてマンションの裏に回ると、赤煉瓦に囲まれた殺風景な植え込みがある。背の低い木や草が並んでいるうち、アロエの類いと思われる草の根元、固い土の上をそれと定めた。

左手に持ったキッチンペーパーを開いてゆくと、しばらくあって、やがて包みの奥から蝉のなきがらはポトリと土の上に落ちた。

やれやれと思い、腰を上げようとすると、先ほど落とした蝉のなきがらから1センチも離れていない土の上に、何か固まりの様なものがある。来た時はアロエの葉に隠れていたようだ。

再び腰を下ろして見てみると、どうやらこれも蝉のなきがららしい。先程落とした蝉の腹の部分かと思ったが、こちらにも頭らしきものと腹の一部が見える。中身はすっかり空になってしまっているが、これもまた、明らかに蝉だ。

気がつけば、植え込みの根元に二匹の蝉の殻が並んでいる。
なにやら、自分が蝉のなきがらを此処まで運ばされたかのような心持ちがした。
そもそも、先の蝉はいつから自分の部屋にいたのか。本当に自分について部屋に入ってきたのだろうか。

何か誤っているのかと思い、やはり写真に収めた。
先ほど見返したが変わりは無かった。
これが今年見た最後の蝉の話だ。

テスト 川崎のお寿司屋さんのレビュー

古びたたたずまいのお店。
何度か前を通ったが昼間に開いているのは見たことがない。
引き戸を開けると、中は昭和の田舎のお婆ちゃんの家のようだ。
年配のご夫婦が営んでらっしゃる。

店の外にも内にも価格表と思しき物は見当たらず、
席に座ると「握りますか?」とご主人に聞かれる。
カウンター席の両側には般若と女面が掛けてあり、壁には高橋由一の鮭と思しき絵が貼ってある。カウンターの下のタイルが激しく欠けている。
なにか混沌としているのだ。

ガラスケースに掲げられたネタの札を頼りに注文してみる。
お寿司は1種2個づつ出てくる。これが存外美味しい。
酢飯が非常に柔らかく握られており、ネタにきちんと仕事がされている。
まこがれいと炙ったのどぐろは、塩でいただく。
ウニをお願いしたら「バフンと紫と生があります」との事。
酢飯は決して強くは無い。

値段を気にせず食べたいものを頼んで、
にぎり9貫(18個)に干瓢巻で8000円プラス税だった。
お酒を飲むなら腹いっぱい食べて1万円というところか。
日本酒は獺祭 、十四代、久保田萬壽など。

デートや記念日に向いているとは思えない。
また、カウンターに火鉢型の灰皿が堂々と置かれているため、
味にこだわる方を連れて行くのもはばかられる。
鉄工が賑わっていた頃、社用で使う人が多かったのだろう。

それでも、美味しいお寿司屋さんの少ない川崎で、
お寿司にコストパフォーマンスを求めない向きにとっては、
存在自体が貴重な店だと思う。